《戦艦霧島》【第三号装甲巡洋艦】マルイ スーパー30シリーズNo.7 日本海軍戦艦 霧島

商品説明 ■ マルイ スーパー30シリーズNo.7 日本海軍戦艦 霧島について
 ニチモの30cmシリーズと似たようなコンセプトで発売されていたのがスーパー30シリーズです。シリーズには大和と武蔵、金剛と榛名、霧島、赤城、エンタープライズの7つが販売されてます。ニチモの30cmと違って舵の部分がスイッチになってますので、ニチモのキットのように洋上部分のディテールを壊すようなことはありません。尚、金剛、榛名、霧島が出ており、内容は同一のキットだと思ってましたが、霧島の後部艦橋が後方に傾斜(実艦解説参照)となっており、ニチモの30cmの金剛型と違い、各艦の差異を表現しているようです。また金剛の全長は214mでしたので、1/700だと30.5cmです。このキットを1/700のウォーターラインシリーズなどと並べても違和感はあまりないと思われます。
 ・モーターライズ(動力模型として作る際はFA130モータと単三電池1本を別途ご用意ください)
 ・ディスプレイシート付属。
 定価 500円(税抜)
 ECサイト上では販売されてないようです。

※  出品理由や趣旨については自己紹介をご参照ください。(必読ではありません)

■ ご注意
・無塗装、未組み立て品です。塗料、制作工具、接着剤等は別途ご用意ください。
・パーツリストがありませんが、ランナーはビニール袋未開封です。組立説明書と照らし合わせながら確認しましたが、揃ってると思われます。ただし見落とし等があるかもしれませんのでその場合はご容赦ください。
・付属の接着剤、グリスなどは使用できないと思われます。
・パッケージは経年劣化により汚れてますし、かなりのスレ等の劣化がありますし、一部折れや汚れ、破損が存在しますのでご了承下さい。
・本出品には上記の状況ですので、パッケージの美品や完品がほしい方は、入札をご遠慮下さい。

※ 当出品物は売る事を前提として保管してた物では無い為、新品同様の状態のものもありますし、日焼けや変色、スレ等全体的に劣化している状態のものもあり、全てが同一のコンディションではありません。このため商品の状態を判断して出品してますが、当方で新品同様と判断しても、見落としや落札者様の判断基準と異なる可能性もありますので、どのような状態であっても基本的に「傷や汚れあり」に設定し、開始価格も低めの設定にしてます。
 特に模型については組んで頂くことを前提としてますので、パーツリストのあるものはパーツを確認し、パーツが揃っているもののみを出品してます。このためパッケージの状態を特に重視される方は入札をご遠慮ください。
 書籍についても、内容では無く書籍の状態の方を重視される方は入札をご遠慮ください。

■ 同時に下記商品を出品しています。
コミケ用の新刊作成の為7月中旬まで毎週日曜の出品数を4~5個にします。
[艦艇]
・大戦中最速の韋駄天駆逐艦
 ハセガワ Z29 1/350 駆逐艦 島風 "最終時"
・第三号装甲巡洋艦
 マルイ スーパー30シリーズNo.7 日本海軍戦艦 霧島

[宇宙戦艦ヤマト]
・1/1000宇宙戦艦ヤマトシリーズ最大のキット
 バンダイ 1/1000 大ガミラス帝国軍 ゼルグート級一等航宙戦闘艦 ドメラーズⅢ世

[クラッシャージョー]
・クラッシャージョー
 ハセガワ CW18 1/400 クラッシャージョー ミネルバ

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入札等に関して このページの記載を熟読ご確認して頂き、十分理解し、了承した方のみご入札願います。

1.支払い等について
 1) 支払い方法は、かんたん決済のみです。
 2) 振込みは2日(落札後48時間)以内にお願いします。コンビニなどの利用で2日(落札後48時間)を越えて振込が遅れる場合は、いつ頃の振込になるかご連絡ください。2日(落札後48時間)振込も無く連絡も頂けない場合は問合わせさせて頂きます。問合わせから24時間以内に返答等のアクションがない場合は入札を取消させて頂き、次点の方に落札頂くか、または再出品させて頂きます。
 また事情をお伝え頂いた場合でも、入金は落札後5日以内にお願い致します。
 3) 新規の方及び出品者様より振込の遅延または落札品の着処理を行わない等、落札後の問題で悪いの評価がついている場合、または前回当方の出品で振込遅延または受取処理遅延メッセージを受けた場合は、24時間以内にお振込みください。24時間経過しても何もアクションがない場合は、無警告で入札を取消させて頂き、次点の方に落札頂くか、または再出品させて頂きます。(すいません、何度もいたずららしい入札がありましたのでこの対応とさせて頂きます)

2. 発送について
 1) 匿名配送及び商品追跡のため、発送はおてがる宅急便(EASY)またはゆうパックポスト、ゆうパックプラスを使用します。送料を安く出来ないかとのお問い合わせもありますが、下記の通り定形外の場合匿名配送、商品追跡が出来なくなる為、変更できませんのでご了承下さい。
 2) 日本国内のみで海外発送には対応してません。
 3) 梱包は雨などの水漏れ防止用にビニール袋に包み、梱包箱等に入れます。ただし梱包箱では発送サイズに収まらない、または100サイズを超える大型サイズの場合は、段ボール用紙、またはクラフト紙で梱包して発送します。
 4) 落札者様からのご入金確認後、土日祝祭日を除き通常は24時間以内、遅くとも48時間以内の発送を心がけてますが、事情により遅れる場合がございます。その場合は落札者様へご連絡いたします。
 5) 着日の指定(発送後標準的な輸送期間を過ぎた日を指定する場合)は振込前にご連絡ください。
 6) 定形外郵便発送のご質問が何度がございましたが、匿名配送及び商品追跡のため現状定形外郵便を使用する予定はございません。

3.受取処理について
 1) 商品到着後2日(到着後48時間)以内に受取り処理を行ってください。匿名配送の為、商品が落札者様へ届いたかどうかは判りますので、到着してから2日(到着後48時間)を越えて受取処理も無く、受取処理が遅延するご連絡もいただけない場合は、こちらから催促の連絡をさせていただきます。尚、それ以前に催促の連絡があるかもしれませんが、それはシステム側が出力した自動送信です、
 2) 今まで配送の追跡後、商品を郵便局や営業所止め等にしてあると判断した場合は、その週末に受け取るものと判断し、翌月曜日までは催促致しませんが、出来れば受取予定期日のご連絡をお願い致します。何のアクションもない場合は、翌月曜日に催促の連絡をさせて頂きます。
 3) 催促をかけてから24時間以内に何らかのアクションを頂けない場合は、落札者様の評価または前回までの対応に基づき以下のように対処致します。
  (1) 受取処理をしないとの評価がある場合、催促から24時間経過しても何らかのアクションがない場合はブラックリストに登録致します。
  (2) 受取処理をしないとの評価が無い場合、催促から48時間経過しても何らかのアクションがない場合はブラックリストに登録致します。
  (3) 当方のこの出品または以前の出品で支払い、受取処理で2回以上の警告を受けた場合ブラックリストに登録致します。

(注)これまでの取引で極一部の方の対応に問題があり、これまでより入札条件が細かくなったり厳しくなり申し訳ございません。上記条件にご納得頂けない(上記期間内にお支払い、や受取処理が出来ない、もしくはお支払いや受取処理の遅れる理由を連絡するつもりのない等)場合は入札をご遠慮ください。

4.評価について
 1) 評価は、当方に評価いただいた方のみ対応させて頂きます。
 2) 評価不要の方は当方への評価も必要ございません。

5.その他
 1) ご質問がある場合は、オークション終了の24時間前迄に行ってください。
 2) 送料も含め値引き交渉は致しません。
 3) 現品しかございませんので、基本的にノークレーム・ノーリターンでお願い致します。
 4) 新規の方や評価が非常に悪い方、また取引に不安を感じる方は、申し訳ございませんが入札を取消させていただく場合がございます。

上記ご確認の上ご検討ください。
送付方法 おてがる宅急便(EASY)
支払方法 Yahoo!かんたん決済(詳細
実艦について ◇クラス解説
 六六艦隊計画のもと戦艦、装甲巡洋艦を整備した日本帝国海軍は、日本海海戦でロシア海軍を壊滅させ、結果として世界第3位の海軍国に成長、またロシア太平洋艦隊を消滅させた事により、新たに米海軍を仮想敵として設定しました。
 当時の日本では主力艦の自国建造を行うようになり、薩摩型戦艦(薩摩:1910年竣工と安芸:1911年竣工)、、河内型戦艦(河内:1912年竣工と摂津:1912年竣工)、筑波型装甲巡洋艦(筑波(子号装甲巡洋艦):1907年竣工と生駒(丑号装甲巡洋艦):1908年竣工)、鞍馬型装甲巡洋艦鞍馬(寅号装甲巡洋艦):1911年竣工と伊吹(第一号装甲巡洋艦):1909年竣工)と毎年主力艦を整備してました。
 余談ですが、軍艦を建造する場合予算が成立してから進水までに10年以上かかる事もあり、その間無名であると事務手続き上不便です。そこで仮の艦名を用いてどの予算によるものかを判別する制度を1885年に内規として定め、1937年からは仮称艦名と呼ばれるようになりました。また仮称艦名は順序記号と艦種を組合わせて付けられ、会計上の必要から仮称艦名を見ればどの予算かが分かわかるように作られました。更に艦船の建造は海軍拡張用や旧艦の代艦など異なる予算項目によって進められるため、予算項目が変わると順序記号も変更される仕組みで、仮称艦名に「号」が付くだけでも予算項目が変わります。つまり第?艦と第?号艦では予算項目が異なります。この順序記号には数字、号が使われますが、更に予算項目が異なると甲・乙・丙・丁や、十干や十二支も用いられました。特に日露戦争時に触雷で沈没した戦艦初瀬と八島の代艦建造は臨時軍事費で急造された為仮称艦名に十二支が使用されました。
 話を戻しますが、そのころ英国のフィッシャー提督はイタリアの造船技師ヴィットリオ・クニベルティが提唱した全巨砲戦艦の構想を元に、パーソンズの開発した蒸気タービンによる機関の小型化と日本海海戦と黄海海戦に於ける12インチ砲の有効性を研究した結果、1908年戦艦ドレッドノートを誕生させました。
 このドレッドノートの出現により、既存の戦艦、装甲艦は船台上にあるものも含め時代遅れとなり(いわゆるドレッドノートショック)、それは国産の主力艦も同様でした。
 更に英国は1908年に弩級巡洋戦艦インヴィンシブル級3隻を竣工、1909年には超弩級戦艦オライオン級が起工され、同時に世界最大艦となる超弩級巡洋戦艦ライオン級が計画されました。これに対し列強海軍も弩級艦、超弩級艦の建艦を初め各国の建造競争に拍車がかかりましたが、当時の日本では弩級艦や超弩級艦を国内で建造するには技術不足でした。
 このため国産主力艦の戦力不足を懸念した日本海軍は1906年から1907年にかけ戦艦8隻、装甲巡洋艦8隻からなる八八艦隊を要望しました。この八八艦隊とは艦齢8年未満の戦艦8隻と装甲巡洋艦8隻を中心にし、必要な補助艦艇と艦齢8年を超えた艦を整備する計画であり、日本帝国海軍の戦力強化に寄与することを目的としてましたが、実現するためには膨大な予算を必要とするため段階的に進めることとしました。
 日本海軍は最初の4隻を、英海軍巡洋戦艦インディファティガブルに近い排水量約18,000t、速力25kt、主砲12in8門の装甲巡洋艦として計画しましたが、予算が通過したのは1910年でした。
 しかし当時は戦利艦の補修や国内主力艦の建造遅延、鞍馬型装甲巡洋艦のタービン化もあり、国内では着手可能な状況ではなく、また列強各国はその間にも強力な弩級艦・超弩級艦を竣工させており、新型装甲巡洋艦の設計もまとまらない状況でした。
 そこで英海軍の巡洋戦艦ライオンに注目した日本海軍は、18,000トン級巡洋戦艦の計画を放棄し、その1番艦(伊号装甲巡洋艦)を英国のヴィッカース建造を依頼しました。日本海軍では英国で建造することで最新の技術を導入及び習得し、更にこの設計図を元に残りの同型艦を国内で建造することとしました。
 こうして英国のヴィッカース社で建造されたのが、装甲巡洋艦金剛ですが、建造中に艦艇類別等級の改訂があり艦種を装甲巡洋艦から巡洋戦艦としたので、竣工時は巡洋戦艦金剛となってます。
 最近の説では金剛はイギリスがオスマン帝国海軍が発注したレシャディエ(後に第一次世界大戦勃発により英海軍が買取エリンと改名)をタイプシップとし、レシャディエの主砲を13.5inch連装砲5基より14inch連装4基とし、3番もしくは4番砲配置と後楼の位置を修正することでレシャディエと同等の射界を確保し、全長を延長、軽装甲化することで高速化した巡洋戦艦として建造したと推測されているようです。
 余談ですが、当初の設計案B46では50口径12inch連装砲5基搭載の予定でヴィッカース社とアームストロング社に入札公告されてます。この中で12inchか14inchのどちらを採用するか検討されたのですが、日本海軍での詰問会議においては14inch砲の採用を推進したのは1名だけだったようです。しかし最終的にはヴィッカース社が提案した45口径14inch連装砲塔4基を搭載した472C案を採用してます。金剛型のWikiでは50口径12inch連装砲も45口径14inch連装砲も砲塔重量が殆ど変わらず、また50口径12インチ砲は砲身が長くブレやすく散布界が広く命中率が低いうえ砲身の命数も短い為14inch砲を採用したとなってますが、金剛のWikiでは14inch砲を採用した過程は不明となっており、ヴィッカース案を採用したのもヴィッカース社の事情と思惑及び三笠や香取の建造実績で日本側との繋がりが強かったのが要因と読み取れる記述にもなってます。
 竣工した金剛は当時世界最大の主砲を搭載した世界最強の巡洋戦艦でした。また船体の中心線上に主砲を配置したため、タイプシップのレシャド5世より砲塔が1基少ないにもかかわらず、レシャド5世と同等の射界を持てました。装甲は当時英国で建造していたライオン級より多少薄かったようですが、速力については優速でした。これはフィッシャー提督同様日本海軍も「速度こそ最大の防御」と言う考え方であったからのようです。
 金剛は最後の海外建造の主力艦となり、その設計図を元に2番艦以降は国内で建造されることになりました。
 2番艦の比叡(卯号装甲巡洋艦)は横須賀海軍工廠でしたが、3番艦榛名(第二号装甲巡洋艦)は神戸川崎造船所、4番艦霧島(第三号装甲巡洋艦)は三菱長崎造船所と日本では初めて民間の建造所で建造されることになりました。
 金剛型4隻が全て竣工するとこの4隻で第三戦隊を組み、世界最強の巡洋戦艦艦隊と呼ばれました。
 第一次世界大戦が勃発すると、日英同盟を結んでいた英国より金剛型巡洋戦艦の1時借用を依頼されましたが、それは断り、その代わりドイツ東洋艦隊の動きを封じるための活動を行いました。
 1916年5月にユトランド沖海戦が起こり、英独海軍の戦艦・巡洋戦艦の大砲撃戦が起こりました。その中でも前衛部隊にいた巡洋戦艦の被害が大きく、両軍で計4隻が沈没しました。特に金剛型よりも装甲が厚いと言われた英海軍巡洋戦艦ライオン級3番艦のクィーン・メリーがドイツの巡洋戦艦デアフリンガーのわずか2発の直撃弾で轟沈したことは日本海軍に衝撃を与えました。
 クィーン・メリーが轟沈した本来の原因は水平防御力の不足でしたが、これは戦艦にも共通する弱点でした。そしてこの海戦の教訓としては、戦艦には水平防御力の強化と高速化を、巡洋戦艦には水平防御力を含む全般的な防御力の増加が求められ、これらの教訓を取り入れた戦艦・巡洋戦艦をポスト・ユトランド型と呼ぶようになりました。結果、戦艦と巡洋戦艦は統合され、後に高速戦艦の誕生に繋がりました。
 日本ではポスト・ユトランド型を金剛型の代艦である八・八艦隊の天城型巡洋戦艦で取り入れる予定でしたが、ワシントン海軍軍縮条約で天城型巡洋戦艦の建造が取りやめとなり、金剛型のポスト・ユトランド型への改装を行う事になりました。その後金剛は艦齢20年に達しワシントン海軍軍縮条約での代艦建造時期となった為金剛代艦(高速戦艦)が計画されましたが、今度はロンドン海軍軍縮条約により建造中止となってます、
 ロンドン海軍軍縮条約では金剛型の処遇が問題となり、結果比叡が練習戦艦とし、金剛、榛名、霧島は排水量29,330t(約3,000t増加)内でポスト・ユトランド型への改修が行われました。
 金剛型のポスト・ユトランド型への改修では垂直防御は十分とされてましたが、水平防御力は不足だったのでNVN甲鈑が貼り増しされました。この増強で、扶桑型と比べると防御力は著しく向上しました。しかし機関の更新はロンドン海軍軍縮条約の条約内では無理だったため速力は26ノットに低下しました。これにより艦種は巡洋戦艦から戦艦に変更されることになりました。
 金剛型は1928年から1931年にかけて第一次改装で主に以下の改装が行われ、主に水平・水中防御力の強化と燃料の主缶の交換が行われ速力は落ちたものの防御力が大幅に向上してます。
・既存ボイラをロ号艦本缶の重油・石炭混焼缶を6基、重油専焼缶を4基の計10基に変更。
 重油量増加と石炭使用量減少により一部の石炭庫を重油タンクに変更。
 これにより重油搭載量が5,000トンとなり航続距離が14ktで2,000海里に延伸しました。
 また排煙が薄くなり敵からの視認性が低くなりました。
・水平防御の強化。弾火薬庫上部甲板に厚さ4inのNVNC装甲板を、機関区画に厚さ3inのHT強度材を追加した。
・砲塔支筒の円筒部装甲板と砲塔天蓋装甲板を3in増厚。
・煙路、通風路、揚弾筒が防御甲板を貫通する部分を増厚。
・水中弾片防御としてバイタルパート部の側外板に厚さ1inのHT材を3-4枚張り重ねた。
・主缶室外側の燃料庫内に厚さ2inのHT材縦隔壁を新設。
・水中防御のため喫水線長の4/5に渡り総容量3,000tのバルジを取付。
 バルジの前後部は水防区画、中央部は燃料タンクとした。
 艦幅が広くなり水中抵抗と排水量が増加、これによりめ速力が低下し、復原性能は向上した。
・檣楼頂部に射撃指揮所を設置しました。
・三番主砲塔の後方に水上偵察機3機搭載設備を設置しました。
・水中魚雷発射装置4基を撤去した。
 尚、主砲の射撃について扶桑型、伊勢型は散布界過大、射撃速度の低下、爆風による弾着観測や射撃指揮への影響など問題の多いのですが、金剛型はこのような問題が無く非常に優秀だったようです。
 1929年いドイツがドイチュランド型装甲艦を建造したことで、ヨーロッパでは建艦競争が再熱し、1937年1月に軍縮条約の失効がせまると列強各国は条約を超える新戦艦の建造や既存艦の改造に着手しました。新造主力艦は排水量35,000トン、14~15インチ主砲を搭載する最高速30ノット以上の高速戦艦が主流となりました。
 金剛型4艦も条約脱退により第2次近代化改装を実施、主機関の換装と艦尾延長による高速化及び主副砲仰角増大で攻撃力増加等を行い高速戦艦に改装されました。
 金剛型は第二次改装は1935年から1937年にかけて行われ、主砲の仰角向上等による攻撃力の強化と主缶とタービンの換装を行ない艦尾も延長したため速力も高速化しました。主な内容は以下の通りです。
・従来の主缶をロ号艦本式大型重油専焼缶8基に交換、配置も変更し缶室区画を廃止し燃料タンクとしました。
・主機械を艦本式ギヤードタービン4基に換装。
・艦尾を7.4m伸長し、水中抵抗を減少。
・凌波性を向上するため船首材を鋭利な形状に変更。
・檣楼頂部に10m測距儀を設置し、射撃指揮装置を新形式の機器に換装し、振動防止のため艦橋後部に補強支柱を設置しました。
・後部艦橋構造を大型化し、排煙と熱対策を施しました。(後部艦橋が大型化したのは、主砲の砲戦距離延長によるものですが、最初に改装を行った榛名は大型化した後部艦橋が後部煙突と隣接している為、廃熱問題が起きてしまい、霧島では後部艦橋を後方に傾斜させる事で廃熱対策してます。この点が榛名と他の同型艦との区分けとなってます。)
・主砲仰角を33度から45度に引き上げ、これにより最大射程を28,500mから33,000mに延伸しました。
・副砲仰角を30度とし最大射程を延伸、砲台座と砲廓を改正しました。
・水中発射管を全廃し、倉庫または燃料タンクとしました。
・40mm機銃を撤去して25mm連装機銃を10基搭載しました。
 戦前、戦中の大日本帝国海軍の戦略思想は漸減邀撃作戦で、潜水艦や航空機等により敵戦力を可能な限り漸減し、戦艦部隊同士による砲撃戦により雌雄を決するという艦隊決戦思想でした。
 このため巡洋戦艦時代の金剛型は、遊撃部隊に該当する第二艦隊として運用されましたが、高速戦艦となった金剛型は主力部隊に相当する第一艦隊に所属し、長門型戦艦、扶桑型戦艦、伊勢型戦艦と共に第一戦隊を構成していましたが、第一艦隊に配備する主力艦を純粋な戦艦で統一し、巡洋戦艦的な性格が強い金剛型を前衛を担う第二艦隊に編入する計画に改められました。
 1936年以降は、金剛型戦艦は第三戦隊に編成され、また大改装により水雷戦隊と行動できるよう機関を刷新し高速戦艦となる事で、潜水艦や航空機による残減作戦後の夜戦において、高速の巡洋艦部隊や水雷戦隊等に随伴して前線部隊の先頭に立ち、大口径砲で敵警戒網を突破支援し、その後主力部隊と合流して艦隊決戦に参加する事となってました。
 ところがいざ太平洋戦争が始まると、本来は戦艦が出撃する前の露払い役であった航空機の活躍により、艦隊決戦が行われる機会は訪れず、決戦の主役とされた戦艦群は艦隊決戦兵力とされたまま遊兵状態となってしまいました。 しかし、金剛型は空母と同一行動を取るのに十分な速力を持ち、また日本海軍の戦艦で最も旧式で攻防ともに最弱であったため、損耗しても戦力に及ぼす影響が低く使い潰しても構わない戦艦として扱われました。
 真珠湾攻撃では比叡と霧島が南雲機動部隊に、金剛と榛名が第二艦隊隷下として南方作戦に参加し、セイロン沖海戦では、金剛型4隻が南雲機動部隊に同行しました。MI作戦では、榛名と霧島が南雲機動部隊として海戦の矢面に立ち、比叡と金剛が近藤部隊に所属してます。
 ガダルカナル島の戦いで苦戦が続くようになると、陸軍より敵航空基地を砲撃粉砕することが求められ、当初海軍は巡洋艦・駆逐艦での作戦としましたが、敵艦隊との遭遇戦や巡洋艦程度の砲撃では十分なダメージが与えられないとして大口径による戦艦での撃砕を行う事になりました。
 大和型戦艦での出撃も考慮されましたが、狭く水深が不明な海域の作戦で、燃費の悪く優速でも無い聯合艦隊の象徴でもある大和型より、高速で、艦隊決戦における戦力としては期待されておらず、失っても惜しくない老朽艦の金剛型の方が適任となりました。
 ヘンダーソン基地艦砲射撃は艦砲射撃は陸軍の攻撃も有り成功に思えましたが、破壊を免れた滑走路や破壊されても1日で復旧されるなどで効果は無く、比叡と霧島が再出撃したものの米軍の艦艇により沈みました。金剛はレイテ沖海戦後の日本帰還時に潜水艦により損失し、終戦時には榛名が大破着底の状態でした。

◇個艦解説
・太平洋戦争まで
 霧島は金剛型戦艦(巡洋戦艦)の4番艦で、「第三号装甲巡洋艦」として計画され、三菱合資会社三菱造船所で3番艦の榛名より1日遅れで起工。1913年12月1日進水、1915年4月19日に榛名と同時に竣工しました。霧島は佐世保鎮守府所属となりました。 1930年には第一次近代化改装(改装詳細はクラス解説参照)を受け、同年10月には神戸沖で特別大演習観艦式に参加し、昭和天皇が乗艦した御召艦として重要な役割を果たしました。1936年には第二次近代化改装(改装詳細はクラス解説参照)を行い、機関の換装で出力は136000馬力と竣工時の倍となり、約30ノットの高速を実現しました。1937年8月には戦艦長門、陸奥、榛名、軽巡五十鈴、他潜水艦と共に多度津港を出港し、長江河口沿岸で作戦行動を行いました。

・太平洋戦争
 太平洋戦争開戦時、比叡と共に南雲機動部隊の随伴護衛艦として真珠湾攻撃及びセイロン沖海戦に参加。その後もミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦の各海戦に参加しました。1942年7月14日には、艦隊の再編にともない比叡、霧島は第三戦隊から第十一戦隊に編入されました。
 そして運命の第三次ソロモン海戦に参加する事になります。
 1942年11月上旬、山本長官はガダルカナル島のヘンダーソン飛行場に対する艦砲射撃とガ島上陸作戦を企図、霧島は比叡を中核とする挺身艦隊が編成されてガ島方面に進出し、米艦隊と交戦することになります。

・第三次ソロモン海戦
 1942年11月12~13日に、挺身艦隊は艦隊を組み航行中、駆逐艦夕立の敵艦隊発見の報告を受け戦闘を開始しました。霧島と比叡は探照灯を照射、混戦の中米重巡サンフランシスコと軽巡アトランタを撃破しますが、比叡は集中攻撃を受け大破し操艦不能となります。霧島は一旦北方に退避するも、比叡の救援に向かおうとしましたが、米潜の雷撃を受け一本が命中、幸い不発であったものの救援中止の命令を受け断念しました。戦艦比叡は応急修理にも失敗し米軍機の攻撃で更に損傷を受け沈没しました。
 山本五十六連合艦隊司令長官は、ヘンダーソン飛行場の砲撃を今度は重巡鈴谷、摩耶を中心とする第七戦隊に命じ、第七戦隊は重巡鳥海、衣笠を中心とする第八艦隊と共に外南洋部隊を構成しショートランド泊地を出撃しました。13日夜の第七戦隊による砲撃には成功したものの敵の損害は限定的だった為、14日には米軍機による反撃を受け、重巡衣笠が沈没し、他の艦船も損傷を受けました。さらに、駆逐艦護衛による増援部隊の輸送船も米軍の攻撃で輸送船が半分以上沈没する被害を受けてしまいました。ガ島への物資揚陸には、ヘンダーソン飛行場の機能を破壊する必要が更に高まり、愛宕と高雄を中心とする第四戦隊と、霧島(第十一戦隊)、及び第十戦隊(軽巡長良、電、五月雨)を射撃部隊とし、直衛として第四水雷戦隊(朝雲)、第十一駆逐隊(電、五月雨)、照月(第六十一駆逐隊)、掃討隊(第三水雷戦隊(川内)、浦波、敷波、綾波)を加え出撃しました。
 一方米軍はハルゼー中将の指揮のもと、空母エンタープライズ、戦艦ワシントン、サウスダコタをガ島周辺に展開させていました。一方、日本軍は敵艦隊が増援する可能性を考慮したものの、射撃部隊の近藤中将はガ島周辺には現れないと考えてました。
 11月14日深夜、鉄底海峡(ガダルカナル島~サボ島海域)にて、重巡愛宕以下の日本海軍前進部隊はアメリカ軍第64任務部隊と交戦しました。日本側は駆逐艦綾波を喪失し、アメリカ側は4隻の駆逐艦が戦闘不能となりました。米戦艦サウスダコタに電力障害が生じたものの3分で復旧、しかし米戦艦ワシントンは損傷した味方駆逐艦を避ける為左に転舵した為、両艦の距離は1.7Km離れてしまいました。米戦艦が分離した為、軽巡川内、浦波、敷波がサウスダコタを砲撃し再度サウスダコタは停電に陥りましたが、雷撃のチャンスは逃してしまいました。
 その後日本海軍前進部隊は、米戦艦と遭遇してしまいました。近藤中将は米艦隊が遁走したものと誤認しており、霧島は対地用の三式弾を装填状態でした。愛宕と霧島は探照灯を照射し6000m先にサウスダコタを発見、サウスダコタ側は4,800mの地点で日本艦隊をレーダでとらえました。霧島は徹甲弾へ切り替える時間が無いまま三式弾で砲撃を開始し、サウスダコタは電子機器と第3砲塔を損傷した為戦場を離脱。日本艦隊はサウスダコタに対し雷撃をかけたものの一本も命中しませんでした。
 その頃ワシントンは、日本艦隊の攻撃がサウスダコタに集中していたため無傷でした。ワシントンはレーダーではサウスダコタと霧島の区別が出来ませんでしたが、日本艦隊の探照灯照射と米軍の照明弾により霧島を識別することが出来た為、霧島に対し砲撃を開始しました。霧島は6分間に7発以上の16インチ砲弾を被弾をし、前部電信室全滅、三、四番砲塔使用不能、操舵機故障となり戦闘から脱落し、右舷に傾いたまま直進不能となりました。愛宕と高雄は駆逐艦朝雲と照月を霧島の護衛に残し、ワシントンと交戦を続けたのち戦場を離れました。
 霧島の艦内では高圧蒸気の噴出により機関科員のほとんどが戦死し、火災による弾薬庫の誘爆危機の為注水、艦を水平に戻すべく左舷に注水するも今度は左舷側に傾き、海中からの作業も失敗し曳航も不可能と判断され、総員退去後魚雷による処分を行おうとしたましたが、左舷後部から転覆して沈没しました。
 比叡の喪失に続いて霧島が沈没したことで、日本海軍は戦艦の投入に慎重になり、この海戦以降戦艦を有効に活用できる機会が失われました。
 就役:1915年4月19日
 戦没:1942年11月15日
 排水量:36,668トン(公試:第二次改装後)
 全長:222.65m(第二次改装後)
 速力:29.8ノット(第二次改装後)
 主武装:45口径35.6cm連装砲4基
インフォメーション  ◆2025年夏に開催されるコミックマーケット106受かりました。詳細は後日掲載予定。
 ◆大和型戦艦の模型に関しては「ワタ艦同人誌情報」に下記の大和型戦艦模型の情報を掲載してます。オンラインPDF版(サイズ超大)とダウンロード版(ZIP)を置いてますのでご興味があれば覗いてみてください。
 ● 大和型軍艦の模型史考2015~2022(2015年以降の大和型軍艦模型をまとめたもの)
 ※ 現在体調不良の為、更新が伸びていますので、大和型軍艦の模型史の更新はもう少しお待ちください。
 ● 大和型軍艦の模型史考2015 (2015年迄の大和型軍艦模型をまとめたもの)


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